「二兎追う者は一兎も得ず」
この言葉は、
慎重さや堅実さを教えるためのものだと思われがちです。
でも私は、この言葉をそのまま信じて、
選択肢を減らしすぎてきた人も見てきました。
本当は、二兎追ってもいい人がいる
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好きなこともやりたい
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ちゃんと仕事にもしたい
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自分らしさも大事にしたい
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誰かの役にも立ちたい
この全部を「欲張り」だと言われると、どこかでブレーキをかけてしまう。
でも、
二兎を追って苦しくなる人と
二兎を追ったほうが自然な人は、
そもそもタイプが違うように思います。
二兎追うことを躊躇しない、という選択
私が大事にしているのは、「どちらかを捨てる」ことではありません。
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仕事か、感覚か
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実務か、世界観か
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収益か、悦びか
どちらかを切るのではなく、両方を同時に持ったまま、進んでみる。
うまくいかなくても、
失敗しても、
その過程でしか見えない景色があったり、
その方が悔いなく進めるタイプの人もいると思うのです。
二兎を追える人は、切り替えができる人
二兎追う人は、一直線に突っ走る人ではないと考えています。
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今日はこっち
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明日はあっち
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今は戻る
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今は進む
行き来できる人。
だから、どちらも失わずにいられる。
躊躇しない、というのは無謀とは違う
むやみに手を広げることでも、
勢いだけで突っ込むことでもない。
「どちらも、私にとって本当だ」
そう分かっているから、躊躇しない。
特に、仕事と家族といった、どちらも大事なものに優越は付けられないですし
躊躇している場合ではないという人も多いように思います。
一兎に絞れないのではなく、二兎が本命
どちらかが「本当」で、
どちらかが「仮」なわけじゃない。
両方が本命。
だから、二兎追うことをやめない。
そんな人がいても良いと思うし、自分自身もそういう一面はあるのかなと思ったりもします。
二兎追えない人との決定的な違い
自分の場合はどうなのかな?と考えた時、つい二兎追うものになってしまっています。
とはいえ、同時並行で二兎を追う気丈さと狩る強さはなくて、
二兎を行き来しながら構うような、追いかけるよりも二兎を手懐ける?育てる?みたいな感じのような気がしています。
なので「一兎に絞れ」と言われると、決めかねてしまって調子を崩すしやすい感覚があります。
「どっちも大事にしていい」と分かった瞬間のほうが、苦しいけれども活力が出やすい気がしています。
二兎追えない人の特徴
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両方を同時に全力でやろうとする
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優先順位を決められず消耗する
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比較と焦りで自滅する
二兎追える方法と切り口
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今日はこっち、今日はあっちと自然に重心を移せる
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片方がもう片方を回復させる
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どちらかが停滞しても、自己否定にいかない
「二兎追える証拠」
① 片方をやっていると、もう片方が澄む
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仕事をすると感覚が研ぎ澄まされ
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感覚に戻ると、仕事の言葉が整う
相互補完が起きている。
これは二兎追えない人には起きません。
② どちらかを「逃げ道」にしていない
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仕事が嫌だから感覚に行く ❌
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現実が重いから世界観に逃げる ❌
ではなく、
どちらも“自分の居場所”
逃げじゃないから、戻ってこれる。
③ 一兎に絞ろうとすると、言葉が死ぬ
一兎に絞った瞬間、
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思考が平坦になる
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表現が弱くなる
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悦が消える
つまり、表現者としての燃料が切れる。
なぜ「二兎追うのは危険」と言われがちか
理由は簡単で、
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多くの人は「切り替え」ができない
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多くの人は「戻る場所」を持っていない
だから
二兎=分散=破綻
になる。
でも二兎追えるタイプは、
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戻る感覚を知っている
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悦に入る方法を持っている
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自分を回復させる術がある
分散しても、中心に戻れる人。
必要なのは一兎という「制限」じゃない
必要なのはこれだけ。
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同時に追わない
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数を増やしすぎない
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今日はどっちの日か分かっている
つまり、
最大二兎。三兎は追わない。
これを守れば、二兎はちゃんと「育つ」のではと思います。
まとめ
二兎追う者は、
一兎も得ないこともある。
でも、
二兎追う者だからこそ、
どちらも自分の足で掴みにいける
という生き方もあるのではと思います。
私も、二兎追うことを躊躇しなくても良いのかなと感じています。
そのほうが、私の自然な進み方のように思います。